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世界の時計とブランドを深掘りブログ 第4回

BULOVA

今回はBULOVA」を深掘りさせて頂きます。またしても個人的に大好きなメーカーですが、いつものように別角度からご紹介致します。当初、二部構成にしようかと迷いましたが私の情熱が冷めやらぬうちにと。
宜しくお付き合いのほど。

ブローバはハミルトンと同じようにアメリカ人に愛されている時計です。
現在でもコレクターが多く、“I♡BULOVA”的なコミュニティ・サイトも多くございます。
広告や消費者との関わりを方を通じて、アメリカの社会問題の最前線に立ち続けて来た会社でであり、単なる時計メーカーでは収まらないアメリカを代表する企業です。

広告戦略のパイオニア

1875年、ニューヨークの宝石販売店から始まります。すでにオシャレです。それまでティファニーで働いていらっしゃいました。現行モデルをとって観てもやはりジュエリーから始まった時計メーカーは群を抜いてデザイン要素が違います。

1912年からはスイスでクロック、懐中時計、腕時計の製造と組み立てをスタート。当初に始めたことは「時計規格の標準化」を定めます。汎用性の高いパーツを作り、その結果「生産数と種類」が飛躍的に向上し、初めて工場規模での大量生産が可能となりました。

1919年頃から男性も女性も伝統的な懐中時計から離れつつありました。腕時計の需要が高騰して来たので腕時計の製造を拡充。1923年から腕時計をシリーズ体系化させた男性向宝飾時計プロダクト・ラインナップを初めて発表!

現在では当たり前になっておりますが、それまでは1時計1モデルでした。「今シーズン、このシリーズのBULOVA時計はコチラですよ!」BULOVAによって初めて「ブランドのモデルタイプ」というものが体系化されました。

1926年ダイヤモンドをアクセントにした時計を製造し、それに合わせて国内初めてのラジオCMをスタート。

「At the tone, it’s 8P.M, B-U-L-O-V-A, Bulova watch time.」とよく取り上げられておりますが、正確には「Let’s get  radio, would be getting a pull of a time check it’s 8 p.mB-U-L-O-V-A, BULOVA watch time.」

魅力的なプロダクト

BULOVAといえば、音叉時計の「アキュトロン」ばかり取り上げられますが、コレクターの中ではそれ以外の方が人気です。1970年と1971年のわずか2 年間だけ生産されたダイバーズを幾つかご紹介します。

別名「surfboard」

本来の名前は「ディープ・シー・クロノグラフ」だったのですが、ダイヤル中央に横に広がった楕円がまるで“サーフボード”のように見えるので購入者から「サーフボード」と呼ばれ大人気モデルになりました。アメリカの西海岸って感じですよね。
中はValjoux 7733 とベースとしたBULOVA Cal.14EBです。今見てもクールな時計で私も欲しい1本です。

別名「devil diver」

「Oceanographerオーシャノグラファー」もコレクターから愛されております。通称「デビル・ダイバー」。666feet(約182メーター)耐水性があるからです。“666”は悪魔の印ということでそのように呼ばれるようになりました。コレはあまり良くありませんので、最終的には200メーターに変更しています。

圧倒的な防水性があったからとか言われていますが、そんなことはありません。当時、他のメーカーでも同種のダイバーは600フィート、または660フィートを標準規格としていました。
BULOVAとしては少しでも他社より優れていると示したかったのでしょう。しかし、結果的には見事にユーザーの購買意欲を掻き立てており大成功です。

parking meter

「Parking meter パーキングメーター」も人気モデルでした。当時、ニューヨーク市の混雑した路肩にはパーキングメーターが設置されていました。
“車を駐車するのに料金を払うなんて”どデカいアメリカでは考えられません。きっと「都会的なイメージ」を連想させたのでしょう。今見ても可愛らしい時計です。

色々とユーザーの心をくすぐっていますよね。こういうところもBULOVAが他の時計メーカーと一味違う魅力だと思います。現在でも「サーフボード」を除くモデルをアーカイブシリーズとして販売されておりますが、どれも個性的です。“デビルダイバー”もちゃんと“666 feet”と表示されています。個人的にはやはりオレンジ・ダイヤルが欲しいですね。

「Academy Awards」

またBULOVAは「The Oscars」のシンボルを使える最初で最後の唯一の時計メーカーでした。モデル「Academy Awards」は1950年から販売開始されました。1941年のBULOVAの初TVCMは有名ですが、テレビ冠番組も初でした。

時計モデルもあるシナトラ・ショー クリックで動画

映画芸術科学アカデミーAMPAS(Academy of Motion Picture Arts and Sciences)が主催するAcademy Awardsアカデミー賞。通称The Oscarsオスカーで知られていますね。AMPASが「時計とアカデミーが授与する実際の賞との関連性をほのめかし、アカデミー賞の品位を下げた」としてBULOVAを提訴。アカデミーの要請を受けてFTC連邦取引委員会がとった措置により、1952年にアカデミーとブローバとの間の契約が取り消された。よって時計「Academy Awards」は52年に販売中止となった。

と、噂されていますが実際は全然違います。当時、まだライセンス契約の規格がはっきりしていなかったことが最大の原因だったのでしょう。ここのお話は大変長くなってしまいますのでまたの機会に。

ステージになったケースがとっても可愛いです

音叉時計?なんのこと??

アキュトロンの宣伝・販売方法にも面白いエピソードがあります。
お客様「そもそも時計の構造なんて解らないのに精度が何たらかんたら解らんよ!」
それはそうだと思います。

「電池はこう入れてね」

現代も当時も同じく、販売員だってよく解っていないのですから。(これはこれで随分と問題なのですが💦)BULOVAはセールスマンからの要望により“販売キット”などの販促ツールを作りました。紙芝居風になっており「正しい電池の入れ方」から始まりとっても丁寧です(笑)
現在、メーカー直営店ブティックなら当たり前のことですが、実際にお客様の反応を見た小売店1つ1つの意見を取り入れて、企画販売していたことがよくわかりますね。

もちろん、ハイ・デザインやハイ・テクノロジーを売りにしていましたが、公式に「conversation piece 」として宣伝していました。つまり、“話のネタにどうですか?”
これはもう、最終手段ではないかと思う部分もありますが💦アメリカ気質なのでしょうか?
「他の時計とは違って“ブゥ〜ン”て音がしますよ。」の広告同様に大変解りやすくて良いです。当然大人気に。

整備と修理を見据えたビジョン

ブローバ社長の鶴の一声で「1万分の1の精度でパーツの完全標準化」を行いました。どういうことかと申しますと、同じパーツならブローバのどの時計でも使える!
だからと言って全部同じムーブメントということではありません。
時計修理サービスに革命を起こしたと言われております。実はコレ、本当に凄いことなのです。時計が売れたらその分だけ修理依頼が来る訳ですから、時計師にはより素早い対応力が求められます。後ほど触れる「時計学校」も既にお考えだったのでしょう。

国家事業とのパイプ

“Moon watch”といえば多くの方がOMEGA「Speed master」を思い浮かべることでしょう。最近ではSWATCHとコラボした「MOONSWATCH」が話題になりました。価格も4万円前後とお求めやすく、私の周りでも着用されている方が多くいらっしゃいます。

オメガは長年、「月で着用される唯一の時計」であると誇らしげに主張してきました。長年にわたり、私たちはこれをユニークな販売提案として受け入れてきましたが……

本当の意味でのMoon watchはBULOVAだと思います。何故なら、今この瞬間も「静寂の海」に置かれている時計はBULOVAなのですから。ここら辺のお話は長くなりますので割愛させて頂きます。

簡単にお話しますと、船外活動中にSpeed masterがあってはならない故障をし、その代わりACCUTRONが使われていたり、BULOVAが“Moon watch”という名称を使うのをオメガが咎めたりと一悶着。BULOVAはアポロ計画のミッションで着用する時計として採用されませんでしたが、音叉時計のアキュトロン時計計器は合計46回に渡り、すべての計機盤時計と計時機構でNASA公式ミッションに採用されています。

NASA公認時計としてパイロットに支給する時計採用に関し、テストされた時計はロレックス、ロンジン、ウィットナー、ブライトリング、タグホイヤーなど。最終的にクリアした時計はオメガのスピードマスターでした。

しかし何故ここにBULOVAが入っていなかったのか?と疑問が浮かびます。当時、NASAとしては“支給はするけど、好きな時計も持って行って良いよ”というスタンスでした。当時の宇宙飛行士の大半は現役のテストパイロットや空軍軍人が占めていた為に、その多くがブライトリングとオメガのクロノグラフ機能を搭載した腕時計を着用していました。既に人気があった訳です。

アキュトロンの技術が使用された人工衛星

BULOVAが米軍向けに時計や航空機計器を製造していたことは知られておりますが、BULOVAの技術提供により製造された具体的なプロダクトは航空計機、火器管制用望遠鏡、ナビゲーションクロックと腕時計、時信管、ジュエルベアリングなどなど。

写真は当時の第二次世界大戦で最初に発行された M1 カービン用の弾薬缶。底面にBULOVAの刻印があります。また、ミサイル用の誘導システムも製造していました。1つはサイドワインダー、もう1つはミニットマン。BULOVAはこの“ダークサイド”についてオフィシャルで説明されておりません。

The General.Omar Nelson Bradley クリックで動画

彼、オマール・ネルソン・ブラッドレー(Omar Nelson Bradley)氏は元アメリカ合衆国陸軍元帥。“ファイブ・スター”のアメリカでは誰もが知っている英雄です。そんな方が1958〜1974年までBULOVAの取締役会長だった訳ですから、言わずもがなでございます。

本来なら癒着を疑われても仕方の無い事ですが、アメリカの反トラスト法では連邦政府及び州政府の行為は適応外となっております。と、上記のように既にBULOVAはアメリカ政府と数多くの技術支援協定を結んでおりました。

「公認時計ぐらいは他のメーカーに譲ってあげたら?」と言うのが実情なのかも知れませんね。それでも民生技術が軍事技術が転用される。最先端の技術でなければ軍事や宇宙開発事業に参入・提供出来ません。人工衛星だって飛ばしています。時計メーカーなのに本当に凄いことです。

時計学校設立の目的とは

当時の退役軍人の失業率は84%を超えており、そんな中、BULOVAは約2,000人の身体障害のある退役軍人を時計職人として訓練しました。1945年の終戦直後にこのジョゼフブローバ時計学校は開講しました。学校の授業料は完全に無料で、プログラムの運営にかかる費用はすべてブローバが負担。

その目的は、退役軍人が民間生活に復帰する際のリハビリテーションを支援し、戦争で得たスキルを活用する場所を提供すること。コースを無事に修了した後にしっかり安定した就職先まで提供しています。完全に現在の専門学校です。

つまり、「金銭的にもメンタル的にも生きていける指針を定める」サポートです。本当に崇高な考えの基に実践されています。

ジョゼフブローバ時計学校は1980年まで開講されておりましたが、1999年、BULOVAと心ある人々の資金提供によって「The Veterans Watchmaker Initiative退役軍人時計メーカー イニシアチブ」が設立されました。3年前に「BULOVA Service Center」になり、現在でも障害のある退役軍人の方に時計制作のスキルを無料で教えられています。

時計メーカーを超えた経営理念

BULOVAは「広告」や「消費者」との関わりを方を考え、アメリカの社会問題の最前線に立ち続けて来た会社であったと思います。もはや単なる時計メーカーの枠を超え、「アメリカ企業としての在りかた」を示す経営理念(創業者の信念・価値観を基にした)が企業理念として引き継がれていた数少ないメーカーであったのではないでしょうか。

現代ではこのようなアプローチをされている企業はあまり見受けられません。SNSなどを通じ、お客様の反応が素直に感じ取れるシステムがあるにせよ、それに応えるよう高い理想を基にした企業努力が報われた時代や社会に憧れます。こうした歴史的観点からBULOVAは過小評価されているメーカーだと感じております。

現在、ニューヨークのエンパイアステートの29階には小さなミュージアムがございます。展示品の90%以上がコレクターからの寄託展示ですがBULOVA愛好家垂涎のモデルが展示されております。また、BULOVAから認定されたヒストリアン(歴史研究家)が詳しく解説して下さいます。
いつか円高になったら、絶対に行ってみたいと考えております。

天文台を作ったときの雇用問題や、ラジオ放送で宗教トラブルになったお話など、当時、躍進したBULOVAとアメリカ社会が窺えるエピソードがまだまだございます。機会がございましたらご紹介したいと思います。

現行でも初のカーベックス・クロノグラフなど魅力的なモデルを販売しているBULOVA。ますます期待が高まります。がんばれBULOVA!!

おまけ
BULOVA Clipperの当時の強度実験が面白いですよ。
飛んでないかい?