世界の時計とブランドを深掘りブログ 第1回
ABUNDANT TIME 代表 壽藤
初回に相応しいブランドを
Girard-Perregaux ジラール・ペルゴです。
最早、横浜ブランドと言っても過言ではありません。当店でも修理をお承りする機会が多く、新たにご購入されたお話も非常に多く伺います。
流石お膝元です。
海外メーカー時計を横浜港から日本に普及に尽力したブランド。
日本におけるスイス時計普及のパイオニアであり、今も昔も高級時計メーカーの中でも1つ1つの部品を自社生産が可能な数少ない完全なマニファクチュール・メーカーです。
個人的に大好きなブランドですので、今回のブログをまとめるのに非常に時間が掛かってしまいました。そんな訳で2部構成にてご案内致します。
既にご存知の方や、そうで無い方にも、更にジラール・ペルゴの魅力お伝え出来れば幸いでございます。
検索すれば誰でも解る歴史年表の羅列は退屈ですので省かせていただき、解りやすくスゴイところ取り上げたいと思います。
技術と美術を駆使する真の天才
時計業界にはいわゆる“天才”と呼ばれている偉人が多く存在しております。
ジラール・ペルゴの創設者、Jean-François Bautteジャン・フランソワ・ボットもその1人です。
肖像画を見ても何だか凄いことを企んでいそうな感じが伝わって参ります。
実は発案したが製作は別人が担当。実用する為に改良された製品版は別人が担当。といったパターンが非常に多くあります。
“時計の歴史を200年進化させた”と言われる、あのブレゲだってそのどちらかです。
ヘリカル・スプリング(提灯ヒゲ)やトゥールビヨンなどの発案は、イギリス人のジョン・アーノルドと言う発明家兼時計師によるものです。
しかし、1801年6 月26日にブレゲによって特許が取得されています。
現在のヒゲゼンマイ「オーバーコイル」はジョン・アーノルドによって発明されたものになります。
実用性を兼ねたマリン・クロメーターの量産を可能にしたのも大工のハリソンでは無く、ジョン・アーノルドの実績です。この辺りは発明家とされるエジソンに似ていますね。
ビジネスモデル・商業的に成功させた方がfounder(発案者)とされていた時代なのかも知れません。現代だったら大問題ですよね。
しかし、時計職人であり宝石商でもあったはジャン・フランソワ・ボットは堅実です。
技術と芸術。実用性と審美性を兼ね備えた時計を作り出すことが出来る“真の天才”であったのではないかと考えます。
花の装飾が施された繊細なゴールドの文字盤が特徴的なクォーターリピーターのペンダント・ウォッチ「Lépineレピーヌ」。ケース上の小さな金の球体は全て何ヶ月も掛けて手作りされています。
トータルバランスが良い上品な美しさ。しかも、こんなに薄いのにリピーターだなんて。この時計1つ挙げても凄いですよね。
ムーブメントも美しくなければならない
1867年 ヌーシャテル天文台のコンクールに参加しました。エントリーモデルはダイヤル側
から見ると香箱(ゼンマイ)・輪列・脱進機&調速機が一直線に並んだ構造。
「スリー・ブリッジ・トゥールビヨン」です。
結果: 1等賞 その高い精度が記録に残されました🎊
勢いに乗り、同年にパリ万国博覧会でもメダルを獲得しました。
ほとんどのメディアがジラール・ペルゴを紹介する時、何故か「1889年パリ万国博覧会の金賞受賞!」
とコピペのようにコレばかりが取り上げておりますが、「スリー・ブリッジ・トゥールビヨン」では計2回受賞しております。
個人的には天文台コンクールの「1等賞」獲得の方がスゴイと感じるのですが。
1867年と1889年では何が違ったのか?
1867年 初期モデルのブリッジはストレート型で先端が尖っており「洋白(ニッケルシルバー)」で出来ていました。これでも十分に美しいです。
1889年※2 現代でもお馴染みのアロー型ブリッジのデザインを確立。さらに「21金」が機能性素材として洋白に取って代わります。評価の最大のポイントはやはりデザイン。
重厚なピンクゴールドケースには、当時絶賛されていたFritz Kundertフリッツ・クンデルト氏により、芸術性の高いエングレービングが施されました。「これぞエングレービング!」を感じますよね。
フリッツ・クンデルトのエングレービングはジラール・ペルゴ以外の多くの懐中時計(特にテンプ受け)にも見られます。
ムーブメントはもはや単なる機能的および技術的要素ではなく、あらゆる点でデザインの要素にもなりました。
そのきっかけを作ったのがジラール・ペルゴなのです🧐
先見の明
「これから我が社の代表モデルとなる“スリー・ゴールドブリッジ” もしかしたらパクられるかも💦」
デザインのコピーを心配したコンスタン・ジラール・ペルゴは、1884年3 月に米国特許庁でムーブメントのデザインの特許を取得しています。当時のスイスにはまだ特許庁のような組織は存在しておらず、設立は1888年になります。
コンスタンさん、本当にその通りになりました。
現代においてもスリー・ゴールドブリッジはアイコニックモデルとなっています。
加えて1901年の博覧会では、他に比較すべき製品が見当たらないという理由から審査対象外とされました。
その最大の理由は「出来が優秀過ぎる……。」
本当に凄いですね。
私も学生の頃に言われてみたかった。いや、今からでも全然構わないのですが 😆
初めての量産型腕時計
有名なエピソードですが、1880年ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世からドイツ海軍将校用に2,000個の腕時計を受注。これが史上初の量産型腕時計であったと言われています。懐中時計を専用の革ベルトで腕に巻く仕様にし、風防の上に頑丈な網目状の金属製カバーが取り付ける。砲撃のタイミングが常に容易に測れただけでなく、懐中時計を手に持っていた時は片手しか使えなかったものが、腕に巻きつけたことにより両手で自由に戦えるよう改良しました。
何に使うのかと申しますと、時刻確認するのはもちろんですが最大の用途は「砲弾の着弾距離」を調べる為に将校専門に発注しました。いわゆる「テレメーター」を目的としています。光と音の速度の違いから距離を割り出すのに使われる機能です。大砲を発砲した際に発する光と音が届くまでの時間を計測することで、距離を推測するのに使用されました。
ここからがあまり伝わっていないと思うのですが、残念ながら、この時計は訓練時だけに使用され実戦には使用されませんでした。
よって定期的な受注には至らず、継続的な展開を見ることなく終わります。
初のハイビート36,000振動
1965年
ジラール ペルゴは、テンプが10振動・毎時 36,000 回振動する初のハイビート・ムーブメントの「ジャイロマティック HF」を設計しました。ハイビートモデルと言うと、間髪入れずに「ゼニスのエル・プリメロ!」と答える方が多いのですが、ゼニスが世界で初めて自動巻きのクロノグラフムーブメントとしてハイビートのエルプリを発表したのが1969年。
高振動機械式ムーブメントとしてはジラール ペルゴの方が先になります😤
初めての実用・量産型クロノメーター腕時計
天文台クロノメーターの多くは、精度に特化したムーブメントを採用しています。よって、一般的には精度を競う目的でのみ製造されております。当然ですが、通常の「腕時計としての使用」には耐えられませんでした。着用することを想定して製造されていませんので、販売されることはありませんでした。
1966 年、ジラール ペルゴは、新たに開発したジャイロマティック キャリバー 32A ムーブメントをCOSC/コスク・スイス公式クロノメーター検定所に提出。
時計のムーブメントは、コートドジュネーブ やペルラージュなど、精度や機能に全く関係の無い、装飾は一切されていません。
ココにジラール・ペルゴの本気が伺えますね。
1966 年と 1967 年に、ジラール ペルゴはキャリバー 32A ムーブメントを搭載した腕時計を約 670個製造し、ニューシャテル天文台の認定天文台クロノメーターとなりました。
同年、当時の時計メーカーでは珍しかった、社内での研究開発チームを設置。
「ジャイロマティック クロノメーター HF」 は、ハックセコンド、微調整微調整ネジ、ISOVAL 自動補正ヒゲゼンマイ、モノメタル テンプを備えた素晴らしい品質のハイビート ムーブメントを備え、662本が連続生産されました。すべてのクロノメーター HF に対して発行された証明書には、その十分すぎる精度を証明する「bulletin de marche・特に優れた結果」と書かれた追加区別が記されております。
『32,768Hz!』
1969年にはクォーツ時計の製造に成功。スイスで初となるクオーツ時計の量産を実施しました。
クォーツムーブメントは日本のセイコーが1969年12月25日に世界で初めて作り上げたとされていますが、初のクォーツ腕時計の商品化したのはジラールペルゴです。
(そうで無いと言う方もいらっしゃいますが)そして現在のクォーツムーブメントの周波数『32,768Hz』を定めたのもジラ―ルぺルゴなのです。
ココをもっとストロング・ポイントとして現行モデルの「レロアート」をドンドン出しても良いと思うのですが😅
補足:ある形にカットした水晶(水晶振動子)に力を加える電気が発生します。これを「圧電効果」と呼びます。また電気を加えると水晶が変形します。これを「逆圧電効果」と呼びます。この流れ全体のことを「ピエゾ効果」と呼びます。非常にエコですね。あんなに小さな電池が何年も持つのはこの効果なのです。水晶は変形したり、戻ったりを繰り返して振動しているのですが、その周期が一定なのです。クォーツ時計の周期「32,768Hz」を創り出しているのです。
でもちょっと多いですよね。なので「分周回路(フリップフロップ回路)」と呼ばれる論理回路で010101……と刻み、1秒間に1発の信号に切り替えています。この「圧電効果」を発見したのが、キュリー夫人の義理の弟のジャック・キュリーさんです。
ミドルクラスへの期待
以上のように、海外評価も高く、歴史・製造技術・デザインも凄いメーカーなのですがなぜ日本ではこんなにも認知度と人気が低いのか?
……はっきり言って、なんで人気ないの??
私の実体験を基にお話しますと(憶測の域を出ませんが)取り敢えず、多くの高級時計販売店にはジラール・ペルゴの取り扱いがございます。
代表モデル「ヴィンテージ 1945」はアール・デコ雰囲気が漂う柔らかなカーブのレキュタンギュラーケースが特徴の時計です。とっても素敵な時計です。
同じく代表モデルの「LAUREATOロレアート」ですが、当初はクォーツ時計として販売されておりました。しかし、ケースデザインはそのままで機械式にグレード変更出来るようになっております。(当然価格は上がります)
いやいや、そこはクォーツそのままでしょう。もとがクォーツなんですから。クォーツの実績がかすれてしまいます。
何だかブレていませんか?
ミドルクラスの時計(それでも2〜300万)でも「おぉ、ジラール・ペルゴされているのですね。」とパッと見では解り難かったり。
「あれ? このケースデザイン。こっちと似ているなぁ。だったら誰にでもに解ってもらえるPPやAP。JLとかにしようかな。」と確かにデザインが似ていたり。
加えて現行ロゴの「GP」なのですが。「AP」の二番煎じ感が強く、「⁉︎なんだAPじゃないのか、APかと思った。」となる流れが割と多く……
大好きなブランドでもありますので歯痒さを感じております😢
ところが、これがハイクラスになるとブランド・パーソナルティーがスゴイのです。
ジラール・ペルゴのシンボリック・機能・情緒価値・背景要素がガンガン伝わって参ります。
スリー・ゴールド・ブリッジの「LA ESMERALDA TOURBILLON ラ・エスメラルダ」です。お値段も凄いことになっておりますが、画像で見る度に見入ってしまいます。まさに鑑賞出来る腕時計。きっと実物を見たら長いため息をついてしまいそうです。
いつかオーバーホールしてみたいですね😅
是非にでも、ミドルクラスにもジラール・ペルゴのブランドロイヤルティ※1の高い時計を作って頂きたいと切に願うばかりでございます。
次回は日本で海外時計販売に尽力された「フランソワ・ペルゴ氏」について深掘りしたいと思います。
お楽しみに。
ABUNDANT TIME 代表 壽藤
※1 ブランドロイヤルティ
お客様が他ブランドがあるにも関わらず、当方のブランドを選択してくれる“当方の魅力”
※2 ド派手であった1889年パリ万博
万博の本来の目的は「国民の教化(人に良い影響を与え善に導くこと)またその啓蒙」とされています。
なので、ロンドン万博は大航海時代を経て創成された博物学や知的活動。その教育的意義が掲げられ国を挙げての大々的なイベントでした。
ところがパリ万博は第1回からナポレオン三世の「帝政の正当性を国内外へ広める」ことを目的としていたので、そもそも違う物でした。
では、どうやって広めようか?
「大衆娯楽の場として祝祭的なイベントにしちゃえば良いんじゃない?」
「皇帝万歳〜!」
「フゥ〜ッ!楽しもうぜ〜!!」
こんな流れでやっていたので、当然、開催される毎にその規模が大きくなり第3回には大赤字になってしまいます。普通だったら規模を縮小するか中止にするところでしょう。
しかし、「フランス革命100周年記念だしさ、エッフェル塔も立ったし、もっと規模を大きくしたら人がいっぱい来るんじゃない?」
「ベリーダンスの娘とかもいっぱい呼んでさ。色んな国のお酒も食事もじゃんじゃんオーダー出来るようにしようよ。」
「フゥ〜ッ!楽しもうぜ〜!!」
金賞はビールのハイネケンや、ティファニーのマッチセーフ(マッチケース:コレクターが多い)とかも受賞。
「久しぶりー。遠い所から良く来てくれたね。これあげるね。」どういう訳か使節団も金賞を受賞しています。
何だか近年の日本でも聞いたことがあるような話ですが、最終的に1889年のパリ万博は大成功!
ここが日本と違います。素晴らしいですね。